2017.11.11(sat)駐車場から徒歩で。。。もうこの時点から苔を見ても嬉しいばかり。ただ、この時はここに来ることだけを考えていました。
しかし、前回の更新で、ワタシにしては肩が凝るほど勉強したので正面に紅葉の中掛かっている木が広島県天然記念物のイヌマキだということが理解できている。w
イヌマキは本州中部以南の団地に生育する高木。
紅葉に隠れているのが佛通寺。
そもそも、佛通寺とは・・・・応永4年(1397年)小早川春平公が愚中周及(佛徳大通禅師)を迎え創建した臨済宗の禅刹である。佛通寺の名称は愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし、彼の戒名(佛通禅師)を寺名にしたことを起因。小早川家一族の帰依を受けて瞬く間に寺勢は隆昌し、最盛期には山内の塔中88ヶ寺、西日本に末寺約3千ヶ寺を数えるに至った。
しかし、応仁の乱の後に荒廃にむかい、小早川隆景の治世になってやや再興したものの、福島家そして続いて浅野家と権力者が変わるにつれて次第に当時の面影を失ったのである。しかし、明治期に入ると一転して法灯は大いに挽回され明治38年初代管長の寛量思休禅師のもと臨済宗佛通寺派として天龍寺から独立復旧し、参禅道場をもつ西日本唯一の大本山として現在に至る。(佛通寺HP歴史より~☆)
佛通寺の本堂に渡る木橋は人混み。(ワタシたちは今回あの木橋を渡っていません。)(理由は有料なのでケチりました。)(紅葉じゃない時期にぜひ再び参りましょう♪)
人混みの中 どんどん下って行く
紅葉の目印の道
下り右手の広っぱ
左は塔頭のひとつ肯心院現在何寺残っているのか素人なので不明ですが全盛期には88ヶ寺の塔頭寺院があったそうです。ここが自分的に紅葉を重き置く場所(笑)
広っぱにも いらっしゃいます。
申し訳ありませんがどなたか心得ておりません;
「なんちゃら供養塔」とあります・・・
わかりました。碑文名 日支事変供養塔(昭和16(1941)年5月(願主(宗八郎様)建立)
日中戦争昭和12年7月7日、慮溝橋事件に始まり1945(昭和20)年8月15日、日本の無条件降伏にいたるまでの日本と中国の戦争の供養塔だそうです。(more以下※)
その他、昭和12年に満州事変にて敵の弾を満身に受け死してなお倒れなかったという広島第5連隊に所属していた杉本中佐の「汝吾を見んと浴せば尊皇に生きよ。尊皇精神あるところ常に吾在。」っと掘られた碑がある。杉本中佐は毎週土曜日に佛通寺に参禅しにこられていたそうです。
ここの木のスタイルいいねぇ~♪
肯心院の前の木の真下で前回も今回も嗅ぎまわしました(笑)
まだまだ緑・・・・♡
コケっ&紅葉~♡
屋根っア~ンド紅葉&大木(笑)
だいたい隙間が好みなんよね~♪
紅葉は時が暮れるにつれて深くなって行きそれは見事でした。夜はライトアップされ、本当のカメラマンさんたちは寒い中 満足されることでしょうと思いました。
まだまだ続きます。恐れ入ります。
日中戦争
1937(昭和12)年7月7日
慮溝橋(ろこうきょう)事件にはじまり、1945(昭和20)年8月15日
日本の無条件降伏にたるまでの日本と中国の戦争。
当初日本政府は北支事変とよび、不拡大方針をとったが、
軍部は戦線を拡大して主要都市・鉄道沿線を占領
宣戦布告のないまま全面戦争に発展。
中国は1937年9月の第二次国共合作による
抗日民族統一戦線が各地で抗日戦を強化した。
1941年12月太平洋戦争の開始後は第二次大戦の一環となった。
当時、日本側は支那事変・日華事変・日支事変とよんだ。